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広島地方裁判所竹原支部 昭和42年(ワ)31号 判決 1969年6月20日

原告

新川武美

被告

中国通運株式会社

ほか一名

主文

一、被告らは原告に対し各自金三二八万八、八四二円及びこれに対する昭和四四年三月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告らの、各負担とする。

四、この判決は、第一項に限りかりに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

被告らは原告に対し各自金一、二〇六万八、六五二円及びこれに対する昭和四四年三月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。なお、仮執行の宣言を求める。

二、被告ら

原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。

第二、原告の請求原因

一、交通事故の発生

被告橋本は、昭和四一年五月二日午前七時二五分ごろ、被告会社所有の普通貨物自動車(広六あ九七〇六号)(以下、被告車という。)を運転し、竹原市竹原町から同市新庄町に通ずる道路を、新庄町方面に向つて五〇キロメートル毎時の速度で進行して、同市下野町中通三、〇七九番地の二先にさしかかつた際、前方を同一方向に進行している普通貨物自動車(以下、先行車という。)を追い越そうとして、約六五キロメートル毎時の速度に加速し、センターラインをこえて先行車の右側に出て、これと併進中、反対方向から進行して来た原告運転の軽三輪自動車(三広そ三一三六号)(以下、原告車という。)の前部右側に、被告車の前部右側を衝突させ、原告に右胸部挫傷(鎖骨、第二、三、四、五肋骨骨折、胸膜損傷)等の傷害を負わせた。

二、責任原因

(一)  被告橋本の責任

本件事故は、被告橋本が、先行車を追い越すため、センターラインをこえて先行車の右側に出た際、前方約六〇メートルの地点から対向して来る原告車を発見したのであるから、このような場合、被告橋本としては、直ちに追越しを中止し、減速などして道路左側に避譲し、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、右義務を怠り、漫然同一速度のまま進行した過失により生じたものである。従つて、被告橋本は民法第七〇九条により原告の被つた損害を賠償すべき義務がある。

(二)  被告会社の責任

被告会社は、自動車による運送業を営み、被告橋本を自動車運転手として雇傭していたものである。そして本件事故は、被告橋本が、被告会社所有の被告車を、被告会社の右業務のために運行の用に供し、その運行中に生じたものである。従つて、被告会社は、本件事故のため原告の身体を害したことにより生じた損害については自動車損害賠償保障法第三条により、それ以外の損害については民法第七一五条により、いずれもこれを賠償すべき義務がある。

三、損害

(一)  休業及び労働能力喪失による得べかりし利益の喪失

原告は昭和二年八月一五日生れの男子で、事故当時、株式会社笠岡組に自動車運転手として勤務するかたわら、余暇をみて農業にも従事していた。そして右自動車運転手としての一か月当りの給与収入は、金三万二、七九九円(本件事故直前の昭和四一年二月から四月までの三か月間の平均月収)とボーナス一か月分金八、一九九円(右三か月間の給与額の一二分の一)との合計金四万九九八円であり、また、一か月当りの農業収入は、耕作反別六反、畑一反三畝で、原告自身の農業労働による純収入は右給与収入の三分の一に相当する金一万三、六六六円であり、結局、本件事故当時の原告の総収入は一か月金五万四、六六四円であつた。

ところで原告は、本件受傷のため即日入院し、昭和四一年七月二七日退院したが、その後も現在までなお通院治療を続けており、現に、左肩胛関節の挙上運動障害及び左胸、左上肢の疼痛を胎し、その症状はすでにかなり固定してしまつていて、現在はもち論将来にわたつて、従来のような自動車運転手及び農業従事者としての労働には堪え得ない状態である。

かようなわけで、原告の被つた損害は次のようになる。

(1) 原告は事故当日から昭和四四年三月二日までの三三か月間、休業を余儀なくされ、その間、一か月金五万四、六六四円、三三か月間で合計金一八〇万三、九一二円の得べかりし収入の全部を失つた。

(2) 次に、昭和四四年三月三日現在原告は年令満四一才であるから、その平均余命は二八・五九年であり、同日以降二二年間がその就業可能期間であるところ、前記後遺症のため、原告は右期間中その労働能力の八割を喪失したものとみるべきである。従つて、原告は、右期間中、前記一か月の収入金五万四、六六四円の八割にあたる金四万三、七三一円、一か年で金五二万四、七七二円の割合の得べかりし収入を失うこととなる。そこで、右金五二万四、七七二円に、ホフマン式計算による係数一四・五八〇を乗ずると金七六五万一、一七五円となり、右が、昭和四四年三月三日を基準とした、同日以降二二年間の原告の逸失利益の現在価額である。

(二)  原告車の破損による損害 金五万六、七三〇円

その内訳は、本件事故当時における原告車の市場価額二万五、〇〇〇円と、修理代三万一、七三〇円との合計である。

(三)  原告の着衣の破損による損害 金五、〇〇〇円

(四)  付添費

(1) 原告が入院していた昭和四一年五月二日から同年七月二七日までの八七日間のうち、原告の妻及び付添婦が都合七八日間原告に付き添つた。その付添費は一日金一、〇〇〇円として合計金七万八〇〇〇円である。

(2) 原告の妻が原告に付き添つていたため、原告の母が昭和四一年五月二日から同年六月三〇日までの六〇日間、原告の子供らに対する家事を手伝つた。その家事手伝費は一日金一、〇〇〇円として合計金六万円である。

(五)  輸血のために要した費用 金五、〇〇〇円。

右は、供血者数十名に提供した食事代である。

(六)  通院費 金六万一、二〇〇円。

右は、原告が昭和四一年七月二七日から昭和四二年一二月末日までに要した通院費で、一か月金三、六〇〇円の割合によるものであつて、原告は当初通院のためタクシーを使用していたが、昭和四一年九月からは軽自動車を購入し、これにより通院していたので、右タクシー代と、軽自動車購入代金及び燃料代を含む。

なお、右金六万一、二〇〇円は、かりに昭和四二年一二月末日までの通院費として認容されないときは、昭和四四年二月二日までの分(昭和四一年九月五日呉市中国労災病院、昭和四三年二月二六日広島赤十字病院の分の汽車賃等を含む。)として主張する。

(七)  昭和四一年度の休農による苗の損害 金一〇万円。

(八)  入院中の諸雑費 金四万五、〇〇〇円。

(九)  原告の入院中、原告の子が死亡したが、その葬儀に原告が参列できないため、本葬儀に先き立ち仮葬儀を行なつた費用 金九、四一五円。

(一〇)  診療費 金三、一六三円。

右は、昭和四三年二月二六日広島赤十字病院における診療費である(なお、昭和四一年九月五日中国労災病院の診療費四、九二八円は、被告会社から支払を受けたので、請求しない)。

(一一)  慰藉料

本件事故及びこれに伴う前記後遺症のため、原告の受けた精神的苦痛に対する慰藉料としては、金一、〇〇〇万円が相当である(ただし、前記(一)(2)の将来の逸失利益の損害金七六五万一、一七五円は、右慰藉料の一部として認容されてもよい)。

四、以上、原告の損害は合計金一、二二二万三、七二四円(ただし、前記(二)の慰藉料に、前記(一)(2)の将来の逸失利益の損害を含む。)である。

これに対し、原告は被告会社から次のとおり支払を受けた。

昭和四一年七月二八日 金一〇万円。

同年九月上旬 金五、〇七二円(ただし、被告から金一万円の支払を受け、その内金四、九二八円は前記のとおり中国労災病院の診療費として支払つたので、その残金)。

同年一二月八日 金五万円(ただし、自動車損害賠償責任保険の仮払金)。

以上合計金一五万五、〇七二円。

五、よつて原告は、被告らに対し、各自、前記金一、二二二万三、七二四円から右金一五万五、〇七二円を差し引いた金一、二〇六万八、六五二円、及びこれに対する本件不法行為の日の後である昭和四四年三月一五日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、被告らの答弁

一、請求原因一、の事実は認める。

二、同二、(一)の事実は否認する。本件事故は原告の過失により生じたものであつて、被告橋本には過失はない。すなわち、被告橋本は、先行車に追いついた際対向車がなかつたので、先行車を追い越すべく、約六五キロメートル毎時の速度に加速して、センターラインをこえて先行車の右側に出、これと併進状態となつたとき、前方五四・七メートルの地点から原告車が対向してくるのを発見した。しかし、被告橋本は、すでに追越にかかつて先行車と併進中であり、たとえ減速してもスリップして左側に避譲することは物理的に不可能であり、また、たとえ原告車が一時停車して被告車に進路を譲つてくれないにしても、被告車の右側方には原告車が離合するに充分な道路幅があつたので、そのまま進行を続けた。ところが原告は、前方注視義務を怠り、被告車が右のように追越のためセンターラインをこえて進行しているのに気が付かず、一時停車はもち論、離合の体勢もとらず、減速もせず、四〇キロメートル毎時の速度のまま漫然と進行して来た。そして、被告橋本は、原告車が前方約一八・八メートルの地点まで迫つて来たので急停車の措置をとつたが、雨天のためスリップしているところへ、原告車が突込んで来て衝突したものである。

三、請求原因二、(二)の事実関係は認める。しかしながら、右のとおり、本件事故は原告の過失によつて生じたものであり、被告橋本及び被告会社は被告車の運行に関し何ら注意を怠らなかつたのみならず、被告車は、被告会社が昭和三九年四月二一日購入した新車であつて、昭和四一年四月二一日の定期検査により道路運送車両法所定の保安基準に適合し、被告会社においては毎日運行前整備点検を厳にしており、事故当日も、被告橋本において整備点検のうえ、これを運行したものであつて、本件事故当時、その構造上の欠陥または機能の障害はなかつた。従つて、被告会社に責任はない。

四、請求原因三、の損害の額は、以下に認める部分を除きいずれも争う。

(一)  同三、(一)について。

原告が昭和四一年五月から昭和四二年一一月までの一九か月間休業を余儀なくされ、その間一か月当り平均給与三万二、七九九円、合計金六二万三、一八一円の収入を得ることができなかつたことは認める。しかし、右収入を得るにはその一割に相当する経費を支出する必要があるとみられるから、これを控除した金五六万八六三円をその損害とすべきである。なお、原告は昭和四二年一一月末日までに、健康人を一〇〇とすれば八〇位の稼働能力を獲得しているものと考えられるから、同年一一月以降の労働能力の喪失率は二〇%とみるのが相当であり、かつ、少なくとも一〇年後にはその喪失した労働能力を回復するものと考えられる。

(二)  同三、(二)について。

金二万五、〇〇〇円が相当である。

(三)  同三、(四)について。

付添婦の分として金二万円、原告の妻が付き添つたことにより家事に従事できなかつたことによる分として金六万円、合計金八万円が相当である。

(四)  同三、(六)について。

通院日数は一九一日であるから、一日金三〇〇円として合計金五万七、三〇〇円である。

(五)  同三、(七)について。

かりに損害ありとしても、原告主張の五割にあたる金五万円位が相当である。

(六)  同三、(八)について。

原告主張の五割にあたる金二万二、五〇〇円をもつて相当とする。

(七)  同三、(九)について。

本件事故と直接関係はない。かりにその必要があつたとしても、金八、四一五円の五割にあたる金四、二〇八円をもつて相当とする。

(八)  同三、(二)について。

原告の労働能力喪失率は前記のとおりであり、その慰藉料は、将来の逸失利益を含め、金一〇〇万円をもつて相当とする。

五、以上原告の損害額は合計金一八〇万九、八七一円であるところ、前記のとおり本件事故の発生につき原告にも過失があるから、かりに、被告らに損害賠償責任があるとしても、過失相殺すべきものであり、原告の過失の割合を五〇%とすれば、被告らの賠償額は金九〇万四、九三六円となる。

六、右に対し、被告会社は次のとおり支払つた。

(1)  昭和四一年七月二八日原告に対し金一〇万円。

(2)  同年九月三日原告に対し金一万円。

(3)  診療費として安田医院に対し金三五万六、七〇六円。

(4)  療金として村上療院に対し金三万六〇〇円。

合計金四九万七、三〇六円。

従つて、差引残額は金四〇万七、六三〇円であるにすぎない。

七、なお、被告会社は原告に対し、前後三回にわたる当裁判所の仮処分決定により合計金八二万四、四〇八円を仮払したので、事実上金四一万六、七七八円の過払となつている。

第四、証拠〔略〕

理由

一、請求原因一、の事実は当事者間に争いがない。

二、被告橋本の過失

〔証拠略〕を総合すれば、次の事実が認められる。すなわち、本件事故現場は、アスフアルト舗装された幅員六・八メートルの直線道路である。被告橋本は、被告車を運転して右道路を進行中、先行車を追い越すため、六五キロメートル毎時の速度に加速してセンターラインをこえてその右側に出、先行車の右側をしばらくこれと併進しているうち、前方約五四・七メートルの地点から原告車が対向してくるのを認めた。このような場合、被告橋本としては、直ちに追越を断念し、減速してセンターラインの左側に避譲すべき義務がある。しかるに被告橋本は、右義務を怠り、被告車がすでにセンターラインの右側に出ていることでもあり、原告車の方で一時停止してくれるものと安易に考え、減速するとか左側へ避譲するとかの何らの措置もとらず、漫然と、そのままの速度でセンターラインの右側を進行した過失により、原告車との距離約一八・八メートルに接近するに及んで、危険を感じ、急停車の措置をとつたが間に合わず、原告車に衝突した。かような事実が認められるのであつて、本件事故は被告橋本の過失によつて生じたものであることが明らかである。

被告らは、被告橋本が対向してくる原告車を発見した際、直ちに減速したとしてもスリップして左側に避譲することは物理的に不可能である旨主張するが、被告橋本本人尋問の結果によれば、右は必ずしも不可能ではないことが認められるのみならず、もともと、そのような危険な方法で、追越のためにセンターラインをこえて進行すること自体、安全な速度と方法で追越をしなければならない義務に違反しているものといわなければならない。また、被告らは、被告車の右側方には原告車が離合するに充分な道路幅があつた旨を主張するが、そのような事実を認めるにたる証拠はなく、従つて、原告が前方を注視しておれば被告車との衝突を避けることができたのに、原告がその注視を怠つたがために衝突したとする被告らの主張は失当である。なお、〔証拠略〕によれば、原告は道路左端寄りを四〇キロメートル毎時の速度で進行していたことを除いて、事故発生の前後の状況を全く忘れ去つていることが認められるのであるが、右は事故によるショックのための記憶喪失であるとうかがえるのであつて、このことをもつて、原告が前方注視義務を怠つていたことの証拠とすることはできないのであり、また、たとえ、原告が急停車、減速ないし避譲の措置を何らとらなかつたとしても、本件事故の態様、特に被告橋本の過失の程度に照らせば、本件事故の発生につき原告に過失ないし責められるべき落度があつたものということはできない。

かように、本件事故は被告橋本の一方的な過失により発生したものというべきであるから、被告橋本は、これによつて原告の被つた損害を全面的に賠償すべき義務がある。

三、被告会社の責任

請求原因二、(二)の事実関係は当事者間に争いがなく、被告橋本に右のとおり過失が認められる以上、被告会社の免責は認められないから、被告会社は、本件事故のため原告の身体を害したことにより生じた損害については自動車損害賠償保障法第三条により、その他の損害については民法第七一五条により、いずれもこれを賠償すべき義務がある。

四、損害

〔証拠略〕を総合すれば、原告の被つた損害は次のとおりであることが認められる。

(一)  休業及び労働能力喪失による得べかりし利益の喪失

原告は昭和二年八月一五日生れの健康体で、事故当時、土建業を営む株式会社笠岡組に貨物自動車の運転手として勤務するかたわら、勤務の余暇を見て、妻とともに、農業にも従事し、その耕作反別は、田約六反歩、畑約一反三畝歩で、米麦、野菜などを栽培していた。そして、右自動車運転手としての収入は、事故当時一か月平均金三万二、七九九円(この点は当事者間に争いがない。)であつた。なお、原告は、右のほか、一か月平均金八、一九九円のボーナスの収入があつたと主張するが、これを認めるにたる証拠はない。また原告は、原告自身の労働による農業収入として一か月平均一万三、六六六円を得ていたと主張するが、原告本人尋問の結果だけではこれを認めるにたらず、ほかに右農業収入の額を確定するにたる証拠はない。

ところで、原告は本件事故のため、事故当日の昭和四一年五月二日竹原市下野町、安田医院に入院し、同年七月二七日退院したのであるが、退院後も通院治療を続け、昭和四三年一一月現在の後遺症は、他覚的症状としては、右肩関節の運動範囲が前方挙上一六〇度(通常人一八〇度)、側方挙上一三〇度(同一八〇度)、後方挙上三五度(同五〇度)で、通常人を一〇〇とすれば八〇位の軽度の障害を残すにすぎず、右症状はすでに固定しているが(労働基準法施行規則別表第二「身体障害等級表」の第一二級該当)、なお、自覚的症状としては、右胸部等に相当の疼痛を胎し、右疼痛をやわらげるための治療を受けるため、現在に至るもなお安田医院に通院している状態である。

かような状態にあつて、原告は、前記退院後少なくとも昭和四四年二月まで、農作業の指示、段取り、田畑の見廻り、庭の除草などに従事することができたにとどまり、自動車運転手としての勤務はもとより、農作業そのものにも従事することはできなかつた。なお、昭和四四年三月以降、原告の前記後遺症のうち、自覚的症状がどの期間継続するかの予測は不可能であるが、ここ当分は続くものと思れるし、前記他覚的症状の程度、原告の職業の態様からみて、同月以降原告はその全就業可能期間を通じ、少なくとも、その労働能力の二割を失つたものと推定するのが相当である。

かくして、原告の被つた損害は次のようになる。

(1)  昭和四一年五月二日から昭和四四年二月までの三四か月間休業を余儀なくされ、その間、一か月金三万二、七九九円の割合で合計金一一一万五、一六六円の得べかりし収入を失つた。

(2)  次に、昭和四四年三月現在、原告は年令満四一才七か月であるから、その平均余命は二八・五九年(第一〇回生命表)であり、就業可能年数は同月以降二〇年とみるのが相当であつて、原告はその期間中、前記一か月の収入金三万二、七九九円の二割にあたる金六、五五九円(円未満切捨)の得べかりし収入を失つた。そこで昭和四四年三月を基準として、以後二〇年間、毎月末に金六、五五九円の収入を得るものとし、ホフマン式計算法により、年五分の割合による中間利息を控除して、右基準時における現在価額を計算すると、次の算式により金一〇八万九、四八五円となる。

6559円×166.1055(期数240の単利年金現価率)=1089485円(円未満切捨)

以上(1)、(2)の合計金二二〇万四、六五一円。

(二)  原告車の破損による損害

原告車は原告の所有であつたが、本件事故のため大破し、原告はこれを廃車せざるを得なくなり、事故当時の原告車の市場価額二万五、〇〇〇円相当の損害を被つた。なお、原告は、事故直前の昭和四一年三月、原告車を修理し、その修理費用として金三万一、七三〇円を支出しているが、これを右損害額に加算することは相当とは認められない。

(三)  原告の着衣の破損による損害

その額を認めるにたる証拠はない。

(四)  付添費

原告は、前記のとおり昭和四一年五月二日から同年七月二七日まで八七日間入院し、その間、原告の妻が五八日間(その大部分は同年五月及び六月中)、また、原告の姉妹その他の近親者及び友人ら計六名が合計二〇日間(その大部分は同年五月中)、それぞれ原告に付き添つて看護をした。そして原告は、妻以外の右付添人に対し、一日金一、〇〇〇円の割合で合計金二万円の付添看護料を支払つた。妻に対してはもち論そのような支払はしていないけれども、原告が入院当初、重態でまる一日以上意識不明の状態が続いたことや、その後同年六月上旬ごろまでギブスをはめていたことなどからみて、妻の右付添も必要であつたものといえるから、妻の付添日数五八日に対しても、一日金一、〇〇〇円の割合で合計金五万八、〇〇〇円の付添看護料相当の損害を被つたものと認めるのが相当である。以上、付添費の合計は金七万八、〇〇〇円となる。

なお、原告は、妻が右のとおり原告に付き添い、家事に従事できなかつたため、原告の母が家事を手伝つたとして、その手伝費六万円を損害として主張する。しかし、右のような家事手伝は、本来好意による無償奉仕の性質を有するものであり、妻の付添がその原因となつているものであるが、妻の付添による損害について前段のとおりこれを認容する以上、右主張にかかる損害は実質的にみてこれと重複するともいえるのであるから、右家事手伝に要した労務を金銭に評価してその賠償を命ずるのは相当とは認められない。

(五)  輸血のために要した費用

原告は入院当日輸血を受ける必要があり、町内の有線放送によつて献血者を募つたところ、二十数名がこれに応じて献血のため安田医院に参集した。原告は、これらの献血者に対し、食事を提供し、その費用として金五、〇〇〇円を支出した。

(六)  通院費

原告は前記退院後昭和四三年一一月二〇日までの間に、合計一九一回安田医院へ通院した。そのうちの当初の昭和四一年八月二九日までの一三回は、往路は兄の自動車に便乗し、帰路のみタクシーを利用し、そのタクシー代一回につき金三〇〇円で計金三、九〇〇円を支払つた。残りの一七八回は、原告が軽自動車を購入しこれにより通院したものであつて、その通院に要した経費は確定できないが、右タクシー代の半額とみて、一回につき金一五〇円で計金二万六、七〇〇円とみるのが相当である。以上、通院費の合計は金三万六〇〇円である。なお、それ以上の通院費の支出を認めるにたる証拠はない。

(七)  昭和四一年度の休農による苗の損害

原告は、昭和四一年春作にトマト苗四、〇〇〇本、ピーマン苗五〇〇本、カンラン苗四、〇〇〇本を育苗していたが、本件事故のため原告が入院し、妻がこれに付き添つたりしたことから、これらの苗を移植する時期を失し、放置して枯らせてしまい、その価額に相当する損害を被つた。そして当時、トマト苗一本金一〇円、ピーマン苗一本金一五円、カンラン苗一本金五円であつたから、その損害は合計金六万七、五〇〇円である。

(八)  入院中の諸雑費

原告は前記入院中、日用雑品、鶏卵、魚類等の栄養食品、ふとん、寝巻、下着類等の購入費として、合計金三万三、二四五円(甲第八号証の七は合計金九五〇円と算定した。)を支出した。しかし、右支出のうちには、ふとん、カバー、シーツ、その他非消耗品(その購入費は計金八、〇〇〇円をこえる。)も含まれているから、その支出費用の全額を直ちに損害とみることはできないのであつて、受傷の部位、程度、入院期間等からみて、右支出額のうち金三万円を損害とみるのが相当である。なお、甲第八号証の一〇、一一のタクシー代金四、五〇〇円は、本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害とは認められない。

(九)  原告の子の仮葬儀の費用

昭和四一年五月一一日原告の子(当時年令八才)が死亡したが、当時原告は入院中であつてその葬儀に参列できないため、本葬儀に先き立ち仮葬儀を行ない、その仮葬儀の費用として金八、四一五円を支出した。しかし、右の子の死亡は本件事故とは無関係であり、右支出は本件事故と相当因果関係の範囲内にあるとは認められないから、これを損害と認めるわけにはいかない。

(一〇)  診療費

原告は、昭和四三年二月二六日広島赤十字病院において診療を受け、その診療費として金三、一六三円を支払つた。

(一一)  慰藉料

原告は、自宅の家屋敷、田二反歩(ほかに田四反歩を他から小作)、畑一反三畝歩を所有し、妻と子供二人との四人家族であり、前記のとおり、自動車運転手として勤務するかたわら農業に従事していたが、本件事故のため右勤務ができず、また、農業も親族等の助けをかりてその経営を維持している。そして上来認定の本件事故の態様、被告橋本の過失の程度、原告の職業、年令、収入、受傷の部位程度、入院期間、後遺症の態様、程度、被告会社において、原告のために、安田医院に対する治療費として金三五万六、七〇六円、村上療院に対する治療費として金三万六〇〇円、計金三八万七、三〇六円を支払つたこと、その他一切の事情を考え合わせると、原告の精神的苦痛に対する慰藉料としては金一〇〇万円をもつて相当と認める。

五、以上、原告の損害は合計金三四四万三、九一四円である。これに対し、原告が被告会社から昭和四一年七月二八日金一〇万円、同年九月上旬金一万円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、また、原告が同年一二月八日自動車損害賠償責任保険の仮払金五万円を受領したことは、原告の自認するところである。ところで、右受領額の合計は金一六万円であるが、〔証拠略〕によれば、右同年九月上旬の金一万円のうち金四、九二八円は、原告が同月五日中国労災病院で診療を受けたその診療費として支払われたことが認められるから、右金一六万円からこれを差し引いた残金一五万五、〇七二円を、前記損害額から控除すると、その残額は金三二八万八、八四二円となる。

なお、被告らは、被告会社が当裁判所の前後三回にわたる仮処分決定により、原告に対し合計金八二万四、四〇八円を仮払したと主張し、右事実は原告において明らかに争わないところである。しかし、右仮払は、本訴請求をその本案とする仮処分決定に基くものであるから、これを本訴請求額から控除すべきものではない。

六、そうすると、被告らは原告に対し各自金三二八万八、八四二円及びこれに対する本件不法行為の日の後である昭和四四年三月一五日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務あることが明らかであり、本訴請求は、右の限度で正当としてこれを認容すべきものであるが、その余は失当としてこれを棄却すべきものである。

よつて、民事訴訟法第九二条、第九三条、第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松田延雄)

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